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第三回 DF吉田航「challenge」

はじめに、新型コロナウイルス感染症の大流行により、自らの危険を顧みず従事されている医療関係の方々、本当にありがとうございます。

大東文化大学男子サッカー部では初めての取り組みである部員ブログ、苦戦しましたが、自分の思いを書いてみました。最後まで読んで頂けたら嬉しいです!

 

 自宅待機が続く20204月、この期に大東文化大学男子サッカー部では部員ブログを始めた。私自身、自己を見直す良い機会だと思い私のサッカー人生について振り返ろうと思う。

 サッカーに出会ったのは6歳の時、『水泳かサッカーか自分で決めろ』母親から言われ、何となく『サッカー』と答え私のサッカー人生が始まった。たまたま近くに有名なクラブチームがあり入った。小学生ながら走り込みに走り込み、怒鳴り声に怯えながらプレーしていた。心の中では『うるせぇな』と思っていた()。身長は周りより高くヘディングが得意で、自分自身、多少技術がついた。中学進学時、チームメイトはJリーグの下部組織やクラブチームへ入るためセレクションやら練習会やら、様々な行動をしていた。その一方、私は中学の部活で良いや〜と思い自分から行動しなかった。そんな折、たまたまお声をいただいたクラブチームに入った。そのチームは東京都で中々有名、厳しいチームで走り込みを徹底していた。『あー俺はいつも走っているな』と嘆いていた。

 

しかし戦術、対人、技術、などとても大切なことも教わった。この時期私のサッカー人生において、1番の高い壁にぶち当たった。身長が伸びなかったのだ。DFとしては致命的な弱点、周りが伸びる中、取り残される孤独感。この時期に少しながらも目指していたプロを諦めた。高校進学時、中学の時と同様、チームメイトは地方の強豪校へセレクション、練習参加をしていた。

私は金銭的な問題もあり、お金のかかる私立高校への進学は諦めていた。地元の公立の高校のサッカー部入ればいいやと思い、特に行動しない日々が続いた。そんな中、運良く特待生として入学させてくれる高校にお声をいただき入学。こう言っては失礼だが、強豪校とは呼べない。強くなっている最中の高校だった。通学で1時間半かかり、サッカーコート1面すらないグラウンドで野球部と半々で使って練習する環境ではあったが、3年間精一杯の力は注いだ。早朝自主練、走り込み、毎日ボールを追う日々、キャラではない副主将という立場にも立った。しかし全国へ行けず、高校に恩返しはできなかった。3年後の話だが自分たちと入れ替わりの代が高校総体で全国へ行ったという朗報があり、喜びと悔しさ半々、少しは高校の力になれたのか今でも時々考える。

大学進学について考えている時、元チームメイトが数人プロになるというリリースがあった。驚きだった。その時私は彼らと自分とでは何が違かったのか比較した。そこで私は1つの答えにたどり着いた。

 

  私はこれまで『challenge』してこなかったのだ。彼らは次のステージに進む時、必ず自身を高められる環境に身を置き、競争を繰り返してきた。私は身長、金銭的な理由をもとに、高い環境でチャレンジすることをしなかった。自分自身でチャンスを潰していたのだ。だから大学では高い目標にチャレンジしようと決心した。 

 

それこそが『関東昇格』だ。

 

関東昇格にチャレンジできる最後の年、サッカープレイヤー人生の集大成の年。コロナウイルスの大流行で活動すら出来ない日々が続く。しかし、できる事は必ずある。情熱を持ち続け、プレイヤー人生最初で最後のチャレンジを達成するため、最高の自宅待機をする。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます!

引き続き大東文化大学男子サッカー部の応援宜しくお願いします!

次回は、、、

大東の頼れるエース!得点が欲しい時、ボールをキープして欲しい時、コイツにボールを渡せば安心!

カットインからの得点は数えきれない!

呼び名は『ヨコウチーニョ』

横田紘己です!お楽しみに!