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第16回 人生楽しんだもん勝ち

大東文化大学男子サッカー部の引退ブログをご覧いただきありがとうございます。

 今回、引退ブログを担当する背番号8番の門脇聡志です。拙い文章ではありますが、読んでいただけたら嬉しいです。

 

 私は、高校3年生の大学選択から今までを振り返りながら書きたいと思います。

 

 はじめに、私は大学を決める際、サッカー選手として『関東リーグ出場』、スポーツについて学びながら『保健体育の教員免許の取得』この2つを軸に大学選択をしました。高校3年の時、サッカー選手として実績ゼロで下手クソな私に、大学からオファーはもちろんありませんでした。そこで、関東リーグに所属する大学と東京都1部リーグ上位の大学の中から、活動方針などを参考に大学探しをして見つけたのが大東文化大学でした。そこから、セレクションに参加して、合格をもらうことができ、大東文化大学に進学しようと決めました。当時の監督から、スポーツ科学科の推薦入試は、倍率が高く合格するのが難しい為、別の学部の受験を勧められました。しかし、別の学部を受験してスポーツについて学ぶ事ができなくなってしまうのが嫌で、私は、倍率の高いスポーツ科学科の推薦入試を受けることにしました。結果、2回落ちて、3回目でやっと合格することができました。

 そんなこんなで、なんとか大学生になれたものの、コロナの影響で大学1年生は、全てオンデマンド授業でほとんど部活もできませんでした。その為、実家で暮らしながら唐揚げ屋でアルバイトして、夜は地元の中学生や社会人チームの練習に混ぜてもらいながらサッカーをしていました。サッカー部の1年生だけで毎週開催されたzoom筋トレも懐かしい思い出です。

 2年生になって、やっと部活ができるようになり、対外試合も増え、多い時は3日間で180分試合に出場したこともありました。下のカテゴリーで結果を残しても、トップで試合に出させてもらえず、チームもリーグ降格。この瞬間、私の目標としていた『関東リーグ出場』ができなくなりました。私はこの現状を受け止め切れず、サッカー部を辞めて、社会人チームでサッカーをしようと本気で考えました。そんな時に、対戦相手の監督をしていた私の大先輩が、「4年間辞めないで頑張って」と言ってくれました。この言葉が当時の私には、とても胸に刺さり、原動力になりました。

 3年生になり、同期は企業説明会やインターンで部活を休む選手が出てきました。部活優先で就活にあまり力を入れてなかった私は、トップチームで試合に出させてもらう機会が多くなりました。試合に出させてもらったことで、どんどんサッカーが楽しくなっていきました。この年は、チームとしてもリーグ優勝でき、1年で東京都1部リーグに復帰することができました。シーズンが終わり、ふと海外に行ってみたいと思い、大学の留学事業の募集を見ていたら、プロサッカーチームが企画している事業を見つけました。内容は、1週間のシンガポールビジネスツアーというものでした。私は、この事業内容を見て応募しました。大東と他大学合同ということもあり、普段関わる事のない学生とも関われる絶好の機会だと思いました。しかも、サッカービジネス。それから私は、朝6時から部活の時間になるまでバイトし、部活が終わってから夜10時までバイトする日々を過ごし、ツアーが始まる3月まで渡航費を貯めました。ツアーには、試合の運営や街頭調査、業務体験などたくさん盛り込まれていました。その中の業務体験で私は、サッカースクールを体験しました。スクールコーチのコーチングについて、実際に選手役をして、コーチングの質を高める為の意見を他の学生と出し合いました。サッカースクールが終わってから、スクールコーチの方々にお誘いを受け、ご飯をご馳走になりました。現地の生活環境であったり、プライベートのことなど、色々なことを聞かせてもらい、とても有意義な時間でした。(スクールコーチの方々との出会いが1年後に自分の人生に関わってくるとはこの時は思いませんでした。)これが、私が参加した唯一のインターンですw

今振り返ると、3年のオフシーズンは、フィジカルC級の補助学生やC級ライセンスの取得、日本フットボール学会の学生委員をするなど、サッカー漬けの日々でした。

 4年生になり、教育実習で1ヶ月間チームを離れたりもしましたが、最後までトップチームで活動させてくれて、監督には感謝しかありません。チームとして関東参入戦に出場して、目標である『関東昇格』まであと一歩のところまで行ったのに関東昇格できずとても悔しかったです。

 大学サッカー引退後は、幼い頃の夢だった海外でプロサッカー選手になる為に、サッカー留学について調べていました。しかし、留学費用が高く、大学で奨学金も借りていた為、踏み込めませんでした。プロサッカー選手になりたいけどお金がない。。。そんな時に、1件のラインの通知が私に届きました。連絡をくれたのは、シンガポールでお世話になったスクールコーチの方からでした。内容は、スクールコーチを探しているとのことでした。私は、選手としてやるつもりだったので、まだスクールコーチは視野に入れていませんでした。しかし、スクールコーチの方と話をして、スクールコーチをしながら一緒にアマチュアで1位を目指そうと言われました。プロサッカー選手ではないけれど、自分を必要としてくれている方のもとでサッカーに携わりながら同じ目標に向かって働きたい。また、シンガポールで出会った子どもたちとまた一緒にサッカーを楽しみたいと思い、スクールコーチになることを決めました。そこから急いで人生で初めての履歴書を書き、次の日に面接をしました。採用に関しての返事は、ビザが取れたら採用と言われ、ビザ取得の為に急いで必要書類を準備しました。宮城先生や川本先生には、年末にも関わらず書類提出を手伝ってくださり感謝しています。1月30日に無事、ビザが承認され、2月からシンガポールで働くことになりました。

 

両親へ

 大学は国公立大学しか行かせないと言っていたにも関わらず、自分の行きたい大学に行かせてくれてありがとう。父と母が一生懸命に働いてくれてるおかげで今があります。そして、いつ実家に帰ってもいつも通り、迎え入れてくれて幸せでした。感謝してもしきれません。大学院に進学しようか、海外挑戦するか悩んでいた時も、相談に乗ってくれてありがとう。親のサポートが無ければ、海外挑戦のチャンスを掴むことはできませんでした。本当にありがとう。これから、どんな生活が待っているのか、不安は少しありますが、楽しみでいっぱいです。行くからには、ひとまわり、ふたまわり以上大きくなって、帰ってきます。期待しててください。

 

チームメイトへ

 4年間、先輩も同期も後輩も、上手すぎるチームメイトに恵まれて、毎日の練習で刺激を受け、そのチームメイトと挑んだ試合は、どの試合も一生の宝物です。特に同期は、コロナで合流が遅くなったにも関わらず、仲良くしてくれてありがとう。そして、これからもよろしく!

 

これまで私のサッカー人生に関わってくれた皆さん、皆さんのおかげで今の私があると思っています。一人でも多くの人に影響を与えられる人になれるよう頑張ります。そして、皆さんへの感謝を忘れずに、これからも自分らしく人生を楽しみながら生きていきます!

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。