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第7回 素敵な出会いと感謝・挫折の数々

テーマ【素敵な出会いと感謝・挫折の数々】

4年 木村健人

 

こんにちは。今回引退ブログお届けするのは、背番号14番の木村健人です。

4年間の出来事と当時の心境を振り返りました。稚拙な文章ですが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

 

大学の4年間は終わってみればとても楽しく充実し、時間はあっという間に過ぎていきました。しかし、振り返ると楽しいことだけではなく、挫折や苦しい経験のほうが多かったように感じます。ただ後悔は無く、最後までやり切れて本当に良かったと自信を持って言えます。

 

僕が大学サッカーに挑戦した理由は2つあります。1つは高校時代のリベンジです。僕には『選手権でプレーしたい』という大きな目標がありました。しかし、その壁はとても高く現実は甘くはありませんでした。選手権でプレーするどころかTOPチームにすら入ることが出来ず高校サッカーの幕を閉じました。その先の進路として周りではサッカーを辞める者。部活に入らず趣味でサッカーを楽しむ者。第二の人生をスタートさせる者など様々いる中で、僕は『サッカーで自分自身が輝きたい』『まだサッカーで勝負したい』といった感情が第一に来たので大学サッカーへ進むことを決意しました。もう1つは高校時代の仲間ともう4年一緒にサッカーがしたいという感情を抱いたからです。昌平のメンバーとやるサッカーはすごく楽しくて常にワクワクするような感覚がありました。そんなメンバーとあと4年間一緒にやるチャンスがあるならと思い、皆と同じ道へ進むことに決めました。

 

このような思いをもって入部を決意した矢先、コロナ禍によって大学にすら行くことができない状況に陥りました。今まで当たり前のようにグランドに行き皆とボールを蹴る日常が当たり前では無くなり、ボールを蹴るときは一人公園で壁に向かってボールを蹴る毎日。とても寂しい感情を抱いたことを覚えています。

大学1年の全体練習はzoomを使っての自宅トレーニングから始まり7月まで続きました。いつからグランドでサッカーが出来るか分からず、何をモチベーションにしていいのかも曖昧な中で日々を過ごしていました。そこから少し時間が経ち、夏頃からグランドで全体練習が始まりました。久しぶりの一人ではないサッカーはとても楽しく、心の底から自分はサッカーが好きなのだと再確認しました。そこからの活動はあまり試合数は多くなかったものの、与えられた試合を充分に楽しみ大学1年を終えました。

大学2年は大学サッカーで最も辛いシーズンでした。シーズン序盤に足首の怪我をし、約3~4か月の離脱を余儀なくされました。時期的にシーズン前と大事な時期で個人的に調子も悪くなかっただけに、この怪我はショックな出来事でした。復帰してからは体を戻すことで精一杯。体は重く今までのプレーからは程遠い出来にかなり落ち込みました。また、追い打ちのように復帰から1か月弱でコロナに感染。夏のほとんどを家で過ごすことになりました。本格的に復帰してからシーズン終了までの数か月はとても長く感じました。そこからはイメージと実際のプレーとのギャップや広がる同期との差などを徐々に感じ、焦る一方でした。このような感情を抱いたままシーズンは終了しました。

大学3では大学2年のシーズンほど悪くはありませんでしたが、結果としてはあまりよくありませんでした。同学年の仲間が次々と東京都リーグでリーグ戦デビューをしていく中自分は藻掻いていました。同学年の活躍やデビューは嬉しかったけど内心とても悔しかったし羨ましいなという思い強かったです。一方で自分が出る試合は同学年より後輩の割合のほうが多く、少し戸惑いがありました。入部理由の1つでもある昌平の仲間と試合に出ることはほとんどなく、試合や日々の練習が楽しいと思うことは次第に無くなっていきました。サッカーに対する熱量も落ち、毎週の練習はいつも通りルーティーン化されているだけの流れ作業へと変わり、このまま続けていてもただの時間の無駄と感じるようになりました。結局このような考えや取り組みで都リーグに出場できるはずもなく、都リーグや東京カップのメンバーに登録されるだけで3年のシーズンを終えました。そして大学4年。大学サッカーラストイヤーに突入しました。

大学の4年間を振り返ると、最終的には東京都リーグに出場できましたが、4年間でわずか1試合のみでした。ですが、自分の中では腐らず部活を続けてきてよかったと思えたし高校サッカーで終わらずに大学サッカーまで続けて良かったと少し報われた気がしました。そして何よりあの緊張感の中プレーできたこと、チームの一員としてプレーできたことがとても嬉しかったです。最後はタカさんチームで引退しましたが、常に熱く自分たちとぶつかってくれるコーチと共に最後の1年サッカーができてとても濃い時間を過ごせたと思っていますし、悔いなく大学サッカーを終えられた気がします。

 

これまでのサッカー人生、16年間、多くの支えがありここまで続けてくることができました。とても感謝しています。特に両親には幼いころから多くの迷惑をかけたし、無理なお願いやわがままも言ってきました。その恩返しとして本当は多くの試合に出て活躍した姿を見せたかったという気持ちが大きいですが、大学4年の最後の数試合プレーした姿を見せることができて良かったと思っています。本当にありがとう!

仲間にも多くの感謝があります。よくオフの日や練習後に温泉に行って部活について語り合ったり相談し合ったりした友達や良く泊まりに来てくれてポジティブなアドバイスや何気ない相談に乗ってくれる友達など自分は周囲の人間に恵まれました。正直何度も辞めようと思ったし両親に相談したこともあったけれど、仲間のおかけで最後までやり切ることができたと思っています。改めて感謝しかないです。

最高に恵まれた環境や仲間と共に大好きなサッカーができて素晴らしい時間を過ごすことができました。僕のサッカー人生は最高でした!この経験はかけがえのない財産です

 

これからはサッカーが第一ではなく仕事が第一の生活へと変わっていきますが、仕事をサッカーのように楽しめるように。そして、社会人サッカーを趣味としてほどほどに楽しんでいこうと思います。

 

長くなりましたが、引退ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

14 木村健人

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コメント: 3
  • #1

    48パパ (水曜日, 24 1月 2024 19:36)

    お疲れ様でした。
    サッカー人生は最高でした!と言えるこの4年は、かけがえのない財産ですね。コロナもあり苦労した世代だと思います。この先も最高でしかないと言える様に頑張って下さい。

  • #2

    木皿和子 (水曜日, 14 2月 2024 08:30)

    感激しました、
    希望通りの大学サッカー選手生活で無かったかもしれませんが、だからこそ得られたものが沢山あったと思います、これからの人生に大いに役立て、又希望に向かって進んでくれる事を楽しみにしています、

  • #3

    イタリア遠征で喧嘩した者 (土曜日, 23 3月 2024 16:52)

    健人おつかれさま!サッカーを続ける楽しさと辛さを自分自身感じてる中で、健人のブログに元気を貰えたし、率直に感動しました。サッカーから離れるかもしれないけど、これからも応援してます。