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第1回 豊田優磨「挑戦し続ける人生」

こんにちは。引退ブログ第1号を担当する背番号3番豊田優磨です。

僕の大学4年間を時系列に振り返りつつ、その時の心情も交えながら書こうと思います。

 

大学サッカーを続けた理由

まず、大学ではバドミントンで活躍しようとしていた僕がなぜ大学でもサッカーを続けたのか。理由は僕のPK献上の1点のせいで高校サッカー選手権大会東京都準決勝で敗戦したのが原因だ(それ以外での自分のプレーも納得できるものではなかった)。

 

場所は西が丘で観客も今までのサッカー人生で一番多かった。僕は試合中のことや相手選手のことをほとんど忘れてしまうタイプだが、あの試合だけは今でも頭から離れず、YouTubeで試合を何度も見返すくらいだった。相手校も結果的に全国大会に出場し、周りからもPKいじりをされ、もやもやが残った。当時他に2年生から試合に絡んでいた選手が僕含め4人いて、1人はプロ内定、2人は関東上位チームの大学に進学。それに刺激されたのもあっただろう。

結果「これでサッカーから離れたら必ず後悔する」と強く思い、サッカーを続けたという背景がある。

今考えたら、あのPK献上は悪いことばかりではなかったのかもしれない。仮にあの試合で僕のせいで負けてなかったら、部活動ではサッカーを続けていなかっただろう。プラスに捉えよう。

 

大学サッカーに対しての思い

入部する前から目標にしていた事がある。それは「関東リーグ昇格を選手として達成する」だ。当時の大東は例年東京都1部リーグでずっと停滞しており、歴代で関東リーグにはほとんど所属したことがないチームだった。だからこそ高校で何も残せなかった反骨心から「歴史に残ることを成し遂げたい」と強く願って入部したが、結論を先に言うと、夢は叶わなかった。

 

ヘルニア→手術→復帰→ヘルニア→復帰→低迷→ポジションコンバート

1年生からAチームの試合に何回か関わらせていただき、2年生から主力として試合に出させてもらったが、正直この2年間は個人としてもチームとしても何も残せなかったことしか覚えていない。詳しくは書かないでおく。

それから色々な出来事があった。3年生から降格した東京都2部リーグで戦うことになるが、チームとしては好成績の「優勝」を収め、1年で1部リーグ昇格を果たすが、僕は何も貢献できなかった。理由は2年生の12月に発症した「椎間板ヘルニア」で手術を決意したからだ。今まで大きな怪我をしたことがなかったからサッカー人生で一番落ち込んだかもしれない。医者からは「手術をし、半年以上のリハビリを経てサッカーに復帰するか、サッカーを辞めるか」と告げられたが、僕はここまで大学サッカーで何も成し遂げていない。しかし頭の中では手術費のこと、復帰した後の自分の居場所のこと、能力が落ちること、再発リスクのこと、

そんなネガティブな気持ちになり、サッカーを辞めようとしたことを今でも鮮明に覚えている。しかし、家族や部員、スタッフ陣からの温かい言葉や大学サッカーにかける思いをもう一度思い出し、人生初の手術をすることを決意した。コロナで手術日が遅れたこともあり、結局Aチームの試合に復帰できたのはシーズン終わりの10月だった。「まだ残り一年あってよかった」と安堵してたのもつかの間、リーグ戦が始まる直前の2月に再び練習中に腰を痛めてしまった。僕があまりにも動けなかったのでよーじさんと立原さんに自宅の中まで運んでいただいたことは一生忘れません。ありがとうございました。

ヘルニアの再発だった。再びリハビリ期間を得て7月に復帰したが、現実は甘くなかった。明らかに体のキレや体力、サッカーに対しての感覚が愕然と落ちていることに気づいた。

夏の遠征あたりから徐々にスタメンで出場する機会も減り、完全にサブメンバーになってしまった。周りからも「なんで試合出てないの?」と言われることが多かったが、強がってその発言に対して流していた。能力が落ちていることは自分が一番分かっているからこそ素直に試合に出れていないことを認められず、引退まで残り2か月の10月を迎えてしまった。

どうやったら試合に出られるかを考え、導き出した答えがSBからCFにコンバートすることだった。今の自分の特性を考えたのと、CFで勝負できるという根拠のない自信があったのでSBで勝負することを諦め、CFで練習からアピールした。思い切った挑戦だったが、今の自分にできることはこれが最善策だと信じた。11月の参入戦に入り、徐々にCFでの出場機会を得て最後の2試合はスタメンに戻ることができた。しかし、目標としていた「関東リーグ昇格を選手として達成する」は達成できず17年間のサッカー人生の幕を閉じたが、後悔はしていない。大学サッカーの決意、手術、リハビリの繰り返し、ポジションコンバートへの挑戦を恐れずにやってきたからこそ最後にピッチに立つことができたし、今このブログも書けている。

 

最後に

殴り書きのような文章でしたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

完全に自分本位の気持ちをここに書いてきましが、これが僕の4年間の振り返りです

総じて、「困難に立ち向かい、それを1つずつ潜り抜ければ成長できる」「選んだ道をなんとしても正解にする」これが大学4年間で得た収穫です。

 

そして僕と関わってくれた仲間やスタッフ陣、病院の先生、家族の偉大さ半端なかったことを痛感させられました。本当に感謝しております。

この先サッカーを続ける選択は今のところないですが、大東サッカー部が来年こそ関東昇格することを陰ながら応援しております。

 

勝手ながら最後に告知させてください。

この度、大学生活の締めとしてフィジークの大会(フィットネスコンテスト)に出場します。最初はかっこよくなるために始めた筋トレですが、今では大会で勝つために減量とトレーニングをしております笑

目標は「優勝」

これが泣いても笑っても大学生活最後の挑戦になります。

サッカーとは全く関係ありませんが、3月2日(土)に埼玉県久喜総合文化会館で行われるので、もし気になってくださる方がいましたら、是非とも応援よろしくお願いします!

 

https://musclegate.jp/

 

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コメント: 1
  • #1

    48パパ (水曜日, 24 1月 2024 19:03)

    お疲れ様でした。
    「選らんだ道を正確にする」その考え方は素敵だと思います。
    最後に筋肉でも、華を咲かせて下さいね。