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第9回 佐藤蒼太「自分の力で正解に」

日頃より大東文化大学体育連合会サッカー部をご支援いただきありがとうございます。

 

 

スポーツ科学科 4年 佐藤蒼太です。

 

4年間の出来事と当時の心境を振り返りました。

拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

自分が入学してからもう4年が経とうとしている。本当に早かったし、あっという間だった。しかし、振り返ってみると色々な経験をした4年間だった。

 

なんとなく続けた大学サッカー。きっと自分と同じような気持ちで大学サッカーを始めた人も少なくないと思う。高校では全国大会に出る、選手権に出るなど明確な目標があった。目標が達成できるのならどんなに嫌われてもよかったし、そのくらいの覚悟と熱量で取り組んでいた。そんな高校生活が終わり、大学サッカーが始まる。しかしそこには自分が想像していた大学サッカーとは違う現実があった。高校サッカーには選手権があるが大学サッカーには何があるのか、当時の自分にはピンとくるものが一つもなかった。当時からチームは関東リーグ昇格を目標に掲げていたが、それはあくまで目標であったし、高校サッカーに比べたら目標に対する熱量が明らかに違っていた。これを感じていたのは自分だけかもしれないが、当時のチームには頑張っている人はダサいというような風潮すらあったと思う。高校サッカーとのギャップを受け入れる事ができず、なぜ自分が大学生になってまでサッカーを続けているのかわからなかった。当時トップチームにいたのは自分とコスの2人だった。チームの決まりとして1年生は練習の1時間前に集合し、ボールの空気入れなど練習道具の準備、練習メニューのマーカー、コーン、ゴールの設置など全てを2人で行わなくてはいけなかった。練習が終われば後片付け、グランドの照明を消し、部室や倉庫の鍵をかけ、その日の練習は終了する。19時過ぎから練習が始まる日はスクールバスの最終便に間に合うことはまずないため、家に着くのは24時前になる。大学1年は毎日1限があったので、毎朝6時30分には家を出なくてはいけない。リュックは練習で使った大量のビブスで毎日パンパンになっていた。今振り返っても本当にキツかったし、2度と戻りたくない。毎日コスと愚痴を言い合っていたし、辞めようと毎日のように言っていた。そんな生活が続く中で、いつしか自分はサッカーへの熱が冷めてしまった。このまま何となく、中途半端な熱量で続けたところで自分のためにならないことはわかっていた。そんな心境とは反対に、1年生から公式戦にする事ができていたが、サッカー人生で初めて試合に出たくないと本気で思っていた。ただ自分には大好きなサッカーを辞める勇気がなかった。そんな中、足首の怪我で手術をし、大学1年が終了した。

大学2年になる直前から、コロナウイルスが流行し始めた。サッカーも部活動も今まで通りにはできない状況になり、モチベーションを落としている自分にとってはこれが大きな転機となった。サッカーから1度離れることで、サッカーができている幸せを再確認する事ができた。それと同時に高校時代にお世話になっていた先生に面倒をみていただき、サッカーをもう一度本気で頑張ろうと強い覚悟を持つ事ができた。例年の時期と比べたら、大幅に遅れたがたくさんの方の努力があり公式戦が開催された。チームとしては満足がいく結果ではなかったが、個人としては全試合に出場し、モチベーションも高く順調な1年間を送る事ができた。しかし大学2年の3月に再び怪我をしてしまう。内側側副靱帯損傷、半月板損傷。復帰までには3〜4ヶ月かかる怪我だった。もちろん来季リーグの開幕にもアミノバイタルカップの代表決定戦にも間に合わない。本当に悔しかったし、この3〜4ヶ月間サッカーができないのはあまりにも辛かった。それでも松葉杖をつきながら毎日ジムに通い、今できることを精一杯頑張っていたと思う。

そんな状態で自分は大学3年になった。自分が怪我をしてもモチベーションが落ちなかった理由の一つに同期の活躍があった。同期のみんなが試合で活躍し、点を決め、チームを引っ張っていた。みんなに負けないように自分も必死だったのだと思う。数ヶ月のリハビリを終え、復帰後の初スタメンはアミノバイタルカップの明治大学戦だった。コンディションは戻っていなかったが、何とか出場し先制点を決める事ができた。結果は1-2で敗れてしまう。そこからリーグ戦もチームとしては苦しい状況に陥ってしまう。自分に力があればチームを勝たせられた試合も少なくない。そのままチームは東京都2部リーグに降格してしまい、大学のラスト1年を2部リーグで戦うことが確定してしまった。

大学4年になり、自分達のラストイヤーが始まった。しかし、どんなに頑張ったところで目標であった関東リーグに昇格することはできない。そうわかった上でも、最後の最後までやり抜いてくれた4年生には本当に感謝している。結果的には2部リーグで優勝する事ができたし、何より同期のみんなと公式戦に出場し、たくさんの勝利を分かち合えたことが本当に嬉しかった。本音を言えば1部で関東昇格をかけて高いモチベーションと熱量の中でサッカーがしたかったが、今できる最大限のことができたと思う。

 

大学サッカーを4年間やり抜いたからこそ感じたことがある。それは、高校サッカーを3年間やり切ることと、大学サッカーを4年間やり切ることは全く違う難しさがあるということだ。どんな時でも自主性が求められ、サッカー以外にも誘惑が多い中で4年間大学サッカーを本気でやり続けることは本当に難しいことだと思う。何となく続けるのには4年間という時間は勿体なさすぎると思うからこそ、部活動に対して自分なりに本気で取り組むことが大切であり、本気になればなるほど得られるものは大きくなる。自分は本気になった分だけ成長できたと思うし、強くなれたと思う。それはもちろんサッカーの部分でも人間としても。大学サッカーで思い通りに進んだことは1つもないし、本当に多くの苦労をしたが、それでも大学でサッカーを続けて良かったと心から思えている。この大学に入学したことが正解だったのかはわからないが、自分の力でできるだけ正解に近づけることができたと思う。この先の人生で本気になって熱くなれる瞬間は決して多くないと思っている。だからこそ、楽しい事がたくさんある大学生活で4年間本気になってボールを追いかけることも悪くないよと後輩には伝えたい。

 

 

最後になりますが、この場を借りて感謝の言葉を伝えさせてください。

 

家族へ

小学校からずっと、何不自由なくサッカーをさせてくれて本当にありがとう。ここまでサッカーが好きになれたのも、サッカーに人生を賭けたいと思えるようになったのも常に自分のことを応援してくれる家族の存在があったからです。自分はこの家族に生まれることができ、本当に恵まれています。こんなに支えてもらっているのに、コロナの影響でもう3〜4年サッカーしている姿が見せられていないので、来年は成長し活躍している姿を見せられるように頑張ります。そしていつか必ず恩返しするので楽しみにしていてください。

 

鈴木監督へ

4年間本当にお世話になりました。チームがオフの日もグランドに足を運んでくださり、マンツーマンでトレーニングを見ていただいたことも数多くありました。おかげで成長することができました。鈴木監督に出会えて、鈴木監督の元でサッカーができて本当によかったです。ありがとうございました。

 

 

そして4年生

 

海音へ

どんな時も隣にいてくれてありがとう。4年間続けられたのは間違いなく海音がいたから。たくさん自主練に付き合ってくれたおかげで少しは上手くなれたと思います。海音と出会えたお陰で学校生活も大学サッカーも楽しくなりました。これからもずっとよろしく。そして、もう社会人になるので言葉遣いには気をつけよう。

 

いりくんへ

数えきれないほど1対1をしてくれたおかげで、仕掛けも対人も強みになりました。あと、たまにある謎のマウント取りや煽りLINEスタンプも嫌いじゃなかったです。たまにマジの喧嘩になることもあったけどそれはそれで楽しかったです。またいつでも1対1受け付けるので連絡ください。

 

コスへ

4年間一緒にサッカーができて本当によかったです。あれだけ辛かった1年の雑用も今となっては本当にいい思い出です。あの時コスが辞めていたら、俺もきっと辞めていました。なんだかんだ優しくて俺らの学年に欠かせない存在でした!

 

駿斗へ

試合になると本当に頼もしい存在で一緒に試合に出る事ができて本当によかった。サッカーに対して、なんだかんだ熱い駿斗が大好きでした!駿斗と4年間サッカーをやりきれて本当によかった。

 

大陸へ

怪我に苦しんだ時間は長かったと思うけど、大陸のひたむきな姿はチームにとってプラスだった。1年の時、朝練で家に泊めてくれたこともいい思い出です。最後の試合で大陸のアシストで点を決められたこと、勝利を飾れたことは一生忘れません!

 

ガヤへ

ガヤのやらかしで何度巻きぞいをくらったのかは分からないけど、今となってはいい思い出です。チームのために一生懸命仕事をしてくれて本当にありがとう。この学年にガヤがいたからこそ楽しい時間が多かったのかなって思います。あと「16年のサッカー人生を振り返って」というタイトルの引退ブログを、ほぼギャンブルの内容で埋める姿は圧巻でした。

 

徳へ

徳ほど純粋にサッカーが大好きで楽しんでいる人はなかなかいないと思うし、いつもモチベーションを落とさずに取り組んでいる姿に尊敬していました。いつも練習していたバレーボールのアタックはどこで使う場面があるのでしょうか。もし使う場面があったら教えてください。

 

真菜へ

いつもサッカー部を支えてくれて本当にありがとう。選手たちがサッカーに集中できる環境を整えてくれていたのも、チームが公式戦に出場できていたのも、真菜がチームのために動いてくれたからです。大変なことが多かったと思うけど、真菜にチームは助けられていました。言葉に出さない選手が多いけど、みんな感謝しています。

 

そして後輩たち

こんな4年生についてきてくれて本当にありがとう。4年生がいなくても平気だなと思うくらい頼もしい後輩ばかりでした。来年は都1部リーグで優勝し、関東リーグに昇格してください。

 

 

 

長くなりましたが、これで引退ブログを終わりにします。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

佐藤蒼太