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第5回 入澤勇介「通過点」 

今回、引退ブログを担当させていただく、経済学部4年入澤勇介です。拙い文章ですが最後まで目を通していただけると嬉しいです。

私は4歳の頃、兄の影響でサッカーを始め22歳に至る今まで続けてきた。今思えば、18年という長い間続けてきたのである。各世代で様々な経験と挫折を味わい、様々な方と出会い、私を成長させてくれた。簡単に今までのサッカー人生を世代ごとに振り返っていこうと思う。

幼稚園、小学校では地元のサッカーチームに所属し、「自分が主役だ」と傲慢に、純粋にサッカーを楽しんでいたのをよく覚えている。誰よりも走っていたし、誰よりも勝利に貪欲であった。ドリブルを得意とし相手を抜き去ってチャンスメイクや自ら得点を取ることができていた。

中学年代では、県内ではあるが少し離れた町クラブに所属した。平日は学校が終わるとすぐに準備し、チームのマイクロバスで練習場まで移動して練習を行った。土日は遠征が多くバスで他県のチームと練習試合やリーグ戦を行うなど忙しない毎日を送っていたと思う。身長があまり伸びず、周りにどんどん抜かれていった私のドリブルはだんだんと通用しなくなっていき、技術不足を感じた。良きチームメイトに恵まれたが個人としては試合に出場できない時期があり、初めての挫折を経験した。加えて、親には金銭的に大きな負担をかけたと思う。

高校年代では自転車で通学できる地元の公立高校に入学した。普通科スポーツ科学系に属していた私は、部活動だけでなく学校生活も自分を律し真面目に取り組んでいたと思う。また、勉強との両立という目標を掲げ良い成績を取り続けた。部活動に関しては高校2年の頃から試合に出させてもらう機会が増え、スピードを生かしたドリブルを武器に戦っていた。チームメイトにも恵まれて、サッカーをすることが非常に楽しかったのをつい最近のことのように覚えている。しかし、結果は思うようについてこず選手権では自分のコンディション調整不足でチームを勝たせることが出来なかった。とても後悔しているし、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。卒業後サッカーを続けるか学業をとるか非常に迷ったが、サッカーに対する強い後悔と熱があったため大学進学後も続けようと決意した。

そして大東大サッカー部では、今までのサッカー人生で一番の苦労を経験した年代であったと思う。特に1年の頃はトップチームに全く絡むことができず長いことBチームでサッカーをしていた。当時のBチームの雰囲気は最悪で、必死で頑張る奴が浮いてしまう、そんな環境で居心地がとても悪かったのを鮮明に覚えている。「この人達はなんのために大学にきてまでサッカーを続けているのだろう。」と思いつつも言えない自分に対しても強く腹が立った。2年の頃からトップチームでやらせてもらう機会が増えたが、コロナと夏ごろにした肉離れの影響でまともにトレーニングすることが出来なかった。また、3年では試合に出場する機会もでてきたが、勝利に貢献することが出来ずチームとしてもうまく機能できずにリーグ降格をしてしまった。そして4年では2部リーグを戦い、昨年とのレベルの差を感じ、物足りなさを感じつつも着々と勝利を重ね2節を残してリーグ優勝を決めた。決して簡単ではなかったと思う。リーグが降格しモチベーションが下がりつつも、素晴らしいチームメイトのお陰で、最後の年を2部とはいえども優勝で締めくくれたのはとても良かった。

こうして振り返ってみると、ここには書ききれないほどたくさんの出来事があったと感じるし、最初にも述べたがサッカーは自分を人間として大きく成長させてくれたと強く思う。ここまで続けられたのはサッカーが好きなことはもちろん、良きチームメイト、スタッフ、そして何より両親のお陰です。とても感謝しています。大学サッカーはここで終わりますが、私のサッカー人生は続きます。どんな形、レベル感になるかはわかりませんが、これからも続けていきたいと考えています。タイトルにもあるように大学サッカーは単なる通過点でしかない。もちろん後悔はたくさんあり、今回のブログでも過去を振り返ったが、大事なのはこれからだ。今まで培ってきた経験を活かして社会にでてからも夢や目標は忘れることなく頑張っていきたい。

また、OBとしてこれからの大東文化大学サッカー部の発展を応援しています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。