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第三十五回 MF小林大陸「ケガから学ぶ」

今回ブログを担当させて頂きます。2年の小林大陸です。まず初めに新型コロナウイルス感染症により、自ら危険を顧みず従事されている医療関係の方々、本当にありがとうございます。ウイルスにかからないように日頃から対策していきましょう。

 

 

 

 私は高校時代苦い経験をしました。それは怪我による辛い経験でした。高校1年の時に自分の高校は全国ベスト4という結果を先輩方が残してくれました。この結果を超える事を目標に日々努力しました。2年になりすぐ、たくさんの遠征に連れて行ってもらい色々な試合の経験を積みました。2年だけの大会などでもたくさん試合をやり手応えは感じていました。ですが、この当時、腰の分離症など怪我に追われていました。しかし、何事も、競争は付き物で、怪我で離脱をすれば、他の選手にチャンスの場を与えてしまう。この厳しい環境の中で負けたくなかったのでテーピングや痛み止めなど飲み無理やりでもプレイを続けていました。

 

 2年の夏終わり頃にアクシデントは起きました。それは試合中に相手の選手と球際で接触し足を持ってかれた時に膝を捻ってしまい倒れました。その後すぐにプレーを続けようとしましたが足が動かなく立てなくなり、そのまま病院に運ばれました。病院に着くまでどんな体勢でいても膝が痛く冷やしても腫れる一方でした。病院についてまず膝にたまった血を抜きました。それは大量の出血でした。診察の結果、左膝半月板損傷で人生初の手術をすることになりました。また、手術してから早くて6ヶ月から8ヶ月のリハビリが必要と言われ頭の中が真っ白になりました。しかし、医者の完全にプレーは出来る様になるという言葉を信じ手術をしてリハビリに励みました。

 

 この機会に左脚の強化だけではなく怪我をしない体を作る為に人1一倍筋トレと体幹強化に励みました。ですが、事は上手くいかず何度も医者にストップをかけられ3年に入ってからも復帰が出来ず、結局大会前のメンバー選考にも入れませんでした。クラスでもメンバーの人は大会の話などをずっとしていました。私の中ではとても苦しかったです。なぜならそのメンバーと競い合う事も出来ず現実を受け入れるしかなく、練習や試合でも外から見守る事しか出来なかったからです。復帰しても元の俊敏性やサッカー感を戻せず自分の思うようなプレーが出来ませんでした。自分の中でも終わりだと思いました。

 

 幼稚園の時から始めたサッカーを辞めるか物凄く悩みました。しかし、このような形でサッカー人生を終わらすのは悔いが残ると思ったので続けることを決意しました。それでも自分の中で高いレベルに挑戦する事に不安を抱えていました。そんな時自分をどん底から救ってくれたのは前監督の加藤嗣夫監督でした。こんな自分の可能性を認めて貰い、声をかけてくれました。もし監督がいなければ今の自分はいないし、悔いの残る人生でした。大学でサッカーができる事は本当に幸せな事です。加藤監督だけではなく、膝を治してくれた医者やトレーナーであったり、心配かけた親であり、色々な人の支えがあるから今があるのです。私が今サッカー出来る事について感謝をしないといけないと思います。サッカーを出来るこの環境に感謝して残りの大学でのサッカーは悔いの残らない様、最後に笑える様に日々努力していきます。

 

 

以上でブログを終わります。最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

次回はストライカー徳本君です。

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コメント: 1
  • #1

    保苅佳央 (月曜日, 25 5月 2020 10:58)

    私は高校3年を持つ父親です。大学時代と社会人一部リーグでアメリカンフットボールをしていました。私も大学1年秋に左膝前十字靭帯断裂をし、その時は病院三ケ所で誤診をされました。練習出来るはずと診断を受けますが、練習出ても膝が外れる事が続きましたが、春に靭帯断裂が分かり、手術し8月に練習復帰しました。その後、ディフェンスキャプテンになり、社会人一部リーグでプレイしました。私は怪我をする事で成長出来た人間の1人です。是非、あなたもそうなれるはずです。是非、怪我の事を「そんな事あったな」と言えるくらい、頑張って下さい!