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第7回 MG松岡萌「4年間を通して」

今回の引退ブログはマネージャーを務めさせていただいていた松岡が担当いたします。

4年間で感じた想いをブログにしたので、拙い文章ではございますが最後まで読んでいただけると幸いです。

 

 突然ですが、私はこのマネージャーを務めた4年間を一言で表すと「苦」です。

この文字を見てマイナスなイメージを抱く方も多いと思いますが、本当に自分の中で苦しい4年間だったと思います。

 私は小学校から12年間テニスを選手として続け、大学から始めて支える側のマネージャーという立場につきました。大学ではテニスをするつもりはありませんでしたが、何かスポーツに携わりたい、そういう想いでサッカー部のマネージャーになりました。

 入部当時は先輩、同期含め6名のマネージャーと共に活動をしており、初めてのことばかりではありましたが、目まぐるしい毎日を過ごしながらも楽しさを感じていました。

 ですが、次々とマネージャーが卒業、辞める等で気づけば同期はいなくなり、3年生の頃にはマネージャーのトップという立場になると共に、会計係という重要な役割も任されるようになりました。

 私は性格上、誰かを引っ張っていくということは苦手でどちらかというと誰かの後ろをついていくような性格ですから、自分がマネージャーのトップという立場がプレッシャーになり、とても苦しかったし、会計係という自覚も全くありませんでした。そこからどんどん部活がしんどいと思うようになりました。

 そして、私に後輩ができました。とても視野が広く周りへの配慮もでき、仕事をキビキビこなす、優秀な子でした。私はそこからどんどん自分とその子を比べてしまい、その子を先輩としてひっぱるどころかズル休みをして、部活を任せっきりにしていた時期もありました。そして、選手や、監督、チーム自体から距離を置くようになりました。辞めよう、さっさと辞めて楽になりたいとずっと思ってました。でも、やはり同い年の選手の事を想うと自分だけ逃げるのはおかしいし、最後までみんなを支え、みんなと卒業したい。という想いに変わり引退目前にして気持ちのスイッチを切り替えました。(今思うと遅すぎて後悔してます。)

 久々の部活に顔を出すのは自業自得ですが本当に怖かったです笑でも、変わらず接してくれる選手やスタッフ、監督、マネージャーのみんなの心の広さが私の救いとなり最後までマネージャーをやりきることができました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

 私はマネージャーを続けた4年間はとても苦しかったですが、自分の弱さに気づけ、一皮剥けた松岡になれたと思っています。最後にはマネージャーとしてこのチームに携われた事は一生自慢できるほどの大切な思い出になりました。

 マネージャーを通したくさんの方々にご迷惑をおかけしましたが私に関わってくれた同期、監督、スタッフ陣、選手に感謝しています。

ありがとうございました。

 そして、これからも大東文化大学サッカー部を応援し続けます。頑張ってください。

 

長くなりましたが以上とさせていただきます。

読んでくださった方、ありがとうございました。