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第四十四回 マネージャー保坂真菜「元ポストプレイヤーの判断ミス」

日頃より、大東文化大学体育連合会サッカー部をご支援いただきまして、誠にありがとうございます。本日ブログを担当させていただきます、マネージャー兼学連担当の保坂真菜です。(上の写真は、練習後の同期集合写真 一列目右端)

 

このような情勢の中、医療従事者をはじめとする生活インフラを支えてくださっている皆様に心から感謝申し上げます。少しずつですが光が見えてきた今こそ、自分にできることを精一杯行いましょう。

 

実は今回のブログ、自分のことにふわっと触れて、あとは趣味の格闘技観戦の話でもしようと思っていました。ですが今日まで部員全員のブログを読んできた中で、自分のことを赤裸々に話すかっこいい先輩、同期を見て自分も素直に書こうと決めました。ずっと話したくなくて、なんとなく受け答えしてきた内容、“私がサッカーから逃げた理由”について綴っていきます。

 

 

 

私は2006年から2018年までの12年間サッカーをプレーする側の人間だった。いつだって私の生活の中心にはサッカーがいた。サッカーに限らず、何かを続けていれば辛いことなんていくらでもあるだろう。中学時代、男子のクラブチームに女子一人で所属したとき、怪我を何度も何度も繰り返したとき、高校時代選手権で負けたとき、思い出せばいくらでもある。それでも12年間、何があろうとサッカーをやめなかったのは、どうしてもサッカーが好きだったから。まず、サッカーをやめるなんて選択肢はなかった。

 

私の考えが変わったのは、大学サッカーに関わる兄や昨年度のキャプテンの話を聞いたことが関係している。プレーヤー以外のサッカーとの関わり方、今までと違う側面からのサッカー。プレーヤーではなく、サポーターに強い魅力を感じた。サッカーが大好きだからといってプレーヤーにこだわる必要がないのかと、妙に納得した私は急にサッカーをやめようと思った。大学選びもサッカーを続けるために選んでいたのに、私のスイッチは突然切れてしまったのだ。自分でも今まで認めたくなかっただけで、プレーヤーとしての自分に限界を感じていたのだと思う。

 

 

もしかしたら、下手なりにサッカーを続けた方がよかったのではないかと思う時がある。こんなことを考えて、サッカーをやめた自分自身に引け目を感じている時点で、私は判断ミスをしたのかもしれない。でも最近は逃げてしまったならそれでいいか!なんて思えるようになった。元々、ポストプレーで仲間を引き立たせることしかできないFWだった。なら、ピッチの外で選手を輝かせる立場になるのも、大して変わらないのでは、なんて思っている。

 

それに私の第二のサッカー人生は最高に充実している。

マネージャー業も大変だがやりがいがあって楽しいし、同期はたまにボール回しに入れてくれたりと選手はみんな優しい。学生幹事として活動している東京都大学サッカー連盟では2つの委員会(広報委員会、技術委員会)に所属し、技術委員会では今シーズンから未熟ながら委員長を務めさせていただいている。責任感の中で得ることは非常に多いし、学連の仲間はみんな本当にかっこよくて学ぶところばかりだ。

 

 

 

 私が高校3年のときにした判断はミスかもしれない。だが、判断を変えたからこそ出会えた人がたくさんいて、今の自分がいる。ミスかどうかなんて、これからの自分に全てかかっているし、ミスにしなければいいだけの話だ。サッカーをやめたというより、サッカーとずっと一緒にいるための選択をしたのだと胸を張って言えるように、残り3年努めていきたい。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

※大東文化大学体育連合会サッカー部では、マネージャーを募集しています。少しでも興味のある方は下記の連絡先までお気軽にご連絡ください!

 

daito_tuff@yahoo.co.jp