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第二十八回 MF金澤翔麿「奇跡なことを当たり前にしてはいけない」

レフティー仲間のしぶしぶから指名をいただきました3年の金澤翔磨です。

 

 

はじめに今、世間を困らせているコロナウイルスに対して、感染症の治療やウイルスの拡大を防止のため、またウイルスに顧みず働いてくださって日々奮闘しておられる、医療関係、金融機関、交通従事者の方々の皆様に深くお礼を申し上げます。

 

 

今回、このブログで僕は『奇跡なことを当たり前にしてはいけない』ということを伝えられたらと思って文章にしてみました。

 

 

今コロナウイルスによってたくさんの人々が普段と違う環境に身を置いていると思います。僕もそのうちの一人です。

この状況になり、最初の方では家族全員で家の掃除や断捨離を行ったりして時間を使っていました。

 

 

 

 

最近では特にやることを無くなりどのように時間を使おうか悩むくらいになりました。

 

こんなことは20年間生きてきて初めてでした。

 

 

こんなにも時間があるとどうやって時間を潰そうか悩みますよね??

そんなある日の夜に僕はとっても悲しい夢を見ました。

 

 

それは、、、

 

 

 

 

仲のいい友達、大切な家族達が様々な理由で1人残らず亡くなってしまった。という夢でした。

 

 

その夢を見てから、僕は今生きているこの時間について考えるようになりました。

今この潰そうと考えている時間は、誰かが本当に喉から手が出るほど欲しい1秒の時間なのかもしれない。

前まで普通だと思っていた、この時は次の一瞬には無くなってしまう可能性があるということ。

 

 

 

そのようなことを考えるうちに、自分が生きているこの11秒が奇跡のような時間であり、人との出会いはこのたくさんの人間がいる中で出会えた奇跡のような人だと思った。

そんな出会いと時間がかけがいのないことであることを理解し、

 

感謝を忘れず。

 

大切に未来のため。

 

 

今この時を精一杯生きていきたいと思いました。

 

 

最初に僕はブログで「奇跡なことを当たり前にしてはいけない。」ということを伝えたいと綴りました。

 

 

このことはとても簡単そうに見えたり、この気持ちが届かない人には一生届かないのだろうと思います。

でも、この言葉がたくさんの人の心に届くことを心から願い、今一度家族や友人に対して優しく、相手のことを気遣う気持ちを思い出してくれたら嬉しいです。

 

 

最後に、ぼくが大切にしている言葉を残してこのブログを終わりたいと思います。

 

 

 

『気配り、気遣いは分け合うことであって寄付するものでは無い。』

 

 

この言葉は誰かの言葉ではなく、自分が生きて来て1番大切だと思った考え方です。

気配り、気遣いは片方の人がしていてもそれはただその人に優しい気持ちを寄付しているだけのこと。

コップに水などが入っていてもその水を片方に注ぎ続けてしまったら注いでいる人の優しさが、気持ちが、枯れ果ててしまう。このような関係ではなく。

 

 

どちらも優しい気持ちで、感謝、尊敬、尊重の気持ちを忘れずに気遣い合い、気配りを注ぎ合うそんな関係である事が僕はとても幸せだと思います。

 

 

長々とこんな僕のブログを読んで頂きありがとうございました(o_ _)o

少しの人にでも心に響いてくれたら幸いです。

そして、これからも大東文化大学男子サッカー部のことを応援よろしくお願いします。

 

 

 

本当に最後まで読んでいただきありがとうございました!!!